2008年09月07日

霧と戯れ大島周遊

8/30、大島二日目。

歩いて2時間半ほどの三原山の火口周りをする気満々のボクに対して、
連れはそこそこという反応。
10年前に取材で来た時には天気にも恵まれて雄大な景色は編集でもメインに据えたが、
4年前に今回と同じ連れと来た時には頂上付近では濃霧で水浸しになり、
景色も見えずに、大雨にずぶ濡れになって笑う子供みたいに可笑しがって終わっていた。

朝、山を見上げると晴れていたが、朝食が終わると雲が覆い、
麓にある宿も雨に見舞われた。

そう言えば、この宿にはやたらと関西弁を話す若い女の子が一杯いて、
昨晩の『肴や』では、大将が、
「白岩は団体客で忙しいみたいだね」と言っていた。
スタッフらしい人のTシャツのロゴを頼りに帰って調べてみたが、
『TAKUMA』という関西出身のミュージシャンのファンイベントで、
2泊3日でこの宿に来ていた様だった。

参加費8万・・・僕らが1泊とは言え船も込みで2万ちょっとだったのを考えると、
大層荒稼ぎだわな(笑)


食後、露天風呂に浸かる。
チェックアウト前には、雨間に窓から海の先に富士山が見えるのに気づいた。

mtfujifromoshima.jpg


港まで出て、頼んでいたレンタカーを事務所に引き取りに行く。
車を出す時、窓越しに他の客の相手をしていた横顔を見て、
それが昨晩のおやっさんだったことに気づき、「あの人、何者なんだろうね?!」
と面白がった。

相変わらず雲が掛かる山を横目に、取りあえず島を一周しようと走り出す。

島は一周51キロ。
島の西側にある元町港から、北の端まで行くと、
連れが、地図にあった大島灯台に行きたいと言い出す。
「ボクは夕陽と同じぐらい灯台もチェックするんですよ」・・・知らねぇよ(笑)

車を降りて、藪の道を進む。
源為朝の古戦場があったあたりだそうで、
濡れた藪から落武者が出てきたら怖いな、などと言ってみた。

途中で雨が降り出すので、持っていたマリーンズのポンチョを被り、
腹が白くてその他が黒いポンチョに「大島ペンギンだ」と
我ながら訳の分からない事をのたまって喜ぶが、
程なく小止みになり、蒸し暑くて止める。

10分ほどで木々に囲まれ、雑草に覆われた広場に出る。
灯台は木々の先に頭を覗かせているが、
そこまで行くには膝丈の雑草をかき分けて階段みたいなところを登る事になる。
7分丈のパンツを履いていたボクが登る気満々だったのに対して、
灯台好き?な連れは「いや、いいですよ」・・・んだよ、それ!(苦笑)


島にあるもう一つの港、岡田港を回って、そこここへと引っかかりながら、
大島一周道路を時計回りに進み、島の東側まで来て大島公園で車を降りる。
小雨で人影もまばらな中、芝生の斜面を少し降りると、
途中でキョンが藪から飛び出してすぐ横の藪へと消える。

「中にいたら気づかれないのに、何で出てくるんでしょうねぇ?」
もっともらしい連れのツッコミも直接言ってくれというところ(笑)

車に戻り、島の中央、三原山の方面に行ってみるが、
行けば行くほど霧が濃くなり、ちょっとスリリングなドライブになる。

inthefog.jpg

一応、山頂口の駐車場まで行ってみるが、5メートル先は全く見えないぐらいになり、
富士山が見えるはずの見晴台に悪態をついてみたりしながら、山を下りた。

麓は陽が差していたが、山を見上げるとやっぱり灰色の帽子を被っていた。

島を東から西へと横断して、出発点の元町港近くに出て、
今度はそこから、先ほどとは逆、反時計回りに島の南へと向かう。

10時前に車をスタートさせてから、気づけば1時半。
過去2回、大島に来た時に行った寿司屋へ。

名前も忘れて場所も何となくしか覚えていなかったが、
近づくと、ボクの記憶のナビゲーターが作動しだして、
「あ、ここは右、もう少し」と無事に着いた。

大関寿司
地物の握りを頼む。

ozekizushi.jpg

ここは、10年前の取材時に、出演者の女の子のお父さんの知り合いに、
大島の土建会社の偉い人がいたので挨拶に行ったのだが、
せっかくだからと隠れた名所案内をしてくれた上に、
「旨い店だから」と、連れられてご馳走になったのがきっかけだ。
十分に旨いんだけど、今回に限っては、昨晩の肴やの刺身のインパクトが強くて、
と贅沢な感想。

その後、筆島に行く。

fudeshima.jpg

ここに来るたび、昔、『サザエさん』のオープニングアニメに大島が使われていて、
このアングルでサザエさん達が記念撮影していたみたいなカットがあったのを思い出す。

海の方まで階段を下ると、がけの下、ちょっとだけある黒い海岸で、
二人だけで海水浴をしているのが見えた。
沖合にロープがあって守られてはいたが、
こんなところで溺れたら助けなんて来ないだろうに、と大きなお世話を思った。

筆島の先は、崖崩れとかで、一周道路が行き止まり。
とって返して、漁港である波浮港の周りを眺めて、元町近くの火山博物館へ。

volcanomuseum.jpg

だたっ広い敷地と大袈裟な建物には「Kampo」の看板・・・なるほど(苦笑)
「なんかシアターがあってさ、そこでゴーってなるんだよ」
とボクは過去の取材時の経験から、説明してみたが、
「ゴーってイミ分かんないですよ」と言われ、取りあえず入ったが、
上映時間が合わず、「ゴーっ」は体感できず、展示物を巡って終わった。

港へ戻り、レンタカーを返す。
今朝見かけた、昨晩のおやっさんが相手をしてくれたのだが、
再会を驚く風もなく、さも僕らがここにいるのが当たり前の様に、
「楽しめた?」と笑って言う。
ただ、何となく素っ気ない感じがして、
昨晩、観光協会の文句を言ったからかと思ったが、
多分、シラフだったからだろう(笑)

おやっさんと別れて、昨日、入らなかった『浜の湯』へ。
ここは水着の混浴で、男女結構ごった返していた。
船の時間を睨みつつ、30分ほど浸かってから出て、港の前の土産物屋をあたり、
船の時間。

港では雨に降られたけれど、全体的にはかなりうまく雨をすり抜けられたものだ。

16:45分の船に乗り、ほぼ居眠りでやり過ごし、18時半に竹芝到着。

相方に電話したが、昨晩は夜中の1時まで残業、
この日も土曜日ながら出勤で帰るメドが立たないというので、
合流予定も結局、連れと二人で竹芝の『餃子王国』っていう
中華っぽい居酒屋っぽいところで夕飯。

餃子と魚と温泉、相方お気に入りのキーワードを一人で堪能して罪悪感を覚えつつ、
仲間との久々の旅に感謝して、一泊二日、無事終了。

「大島で旨い魚を喰う」って言うフレーズ、また使おうと思った。
ニックネーム パラマリボ at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | caminand

2008年09月07日

「大島に魚を喰いに行ってきたよ」

先週、29、30日と伊豆大島に行った。

相方と夏休みが合わず、旧友との約束もあって、
結局、仲間内の予定も合わずに、野郎二人の旅となった。

大学時代のバイトの仲間。
かれこれもう20年の付き合い。

大島へは、10年前、ボクが番組制作時代に取材で行ったのを最初に、
4年前には、今回一緒に行った友達と一緒に行っていたので、今回は3回目。

竹芝からジェットフォイルで1時間45分。
4、5年前に就航したこれは、
従来の夜行の在来船が一晩掛けるのに対して早くて便利だが、
窓が開くわけでもなく、言うほど快適なワケでもなく、単なる輸送手段というところ。
船中、竹芝で買った弁当を突きながら缶ビールで乾杯、
ケータイGPSで、時々の現在地点を確認して面白がりながら、2時半に到着。
迎えの車で数分で宿へ。

宿、ホテル白岩。
島の宿事情が本土のそれとは違うのは知っていたが、
島ではそれなりにいい宿のはずも、
ん〜・・・何か30年前にできたビジネスホテルがそのまんま、っていう感じで、
いきなりのカウンターパンチを見舞われてクラクラする(苦笑)
今回の旅は、ヤフートラベルで船と宿のセットで割安で取れた一方、
普段はそれなりに調べて指定する部屋タイプなどは一切お任せだったが、
もう少しマシな部屋もあったようだから、不作為に舌打ちする。

いつものこういう旅ならまずは部屋でゴロ寝になるのだが、
落ち着かないので、早速、ロビーで割引券を買って、船が着いた元町港近く、
歩いて15分ほどの『御神火温泉』に出掛ける。

goshinkaonsen.jpg

ここは海沿いにあって、比較的最近できたらしい、
スパとプールっていう趣のところで、僕らは早速温泉に入る。
露天ではないが、大窓からは目の前に海が見え、入り込む陽差しが暑い。
ゆっくりしようと思ったが、サウナも含めて20分ほどで茹で上がって退散。

プールは予想外に25メートル3レーンの「ちゃんとした」やつで、
地元の子相手のスイミングスクールをやっていたから、僕らはもちろんパス。

プール横、ロビーにあるレストランで、時間潰しがてら生ビールを頼んで、
ガラス越しにプールの健康的な子供達と、その先の西日を眺めつつ。

外に出て、隣の公園へ。
夕陽好きを公言する友達のリクエストで、
公園隣にある公衆露天風呂『浜の湯』で入り日を観ることにしていたが、
水平線に拡がる雲に、完璧なシチュエーションは難しそうなのが分かって、
御神火温泉で火照ってもいたので、浜の湯はパスとなる。

dawn_oshima.jpg

「どうせ夕飯もそれなりだろうし、部屋にいても落ち着かないし、
 食後に呑みに行くところを探そう」
と、宿に戻りがてら、港の周りを巡ってみる。
スナックが数軒と居酒屋みたいなのが数軒。

どれもどんなんだか、と言う感じだったが、一つだけ、
アリかな、っていうところが目につく。

sakanaya.jpg

むしろ2階の『日本テレビ大島支局』っていう看板が
秘密基地っぽい佇まいで面白くて写真を撮ってみた。

宿に帰って夕食。
部屋食など期待できる風でもなく、食堂へ。

dinner_shiraiwa.jpg

前に来た時にも食べたことのある椿油のフォンデュは美味しかった。
説明がなかったが、前回そうであったように、皿に敷かれていた明日葉を、
そのまま衣につけて揚げて食べた。
タラの芽っぽい苦みがあってこれもオッケーだが、
葉っぱがちょっと茶色くなっていて苦笑い。

その他、そこそこだったけれど、食堂がこれまた時代がかった雰囲気で、
狙ったはずもない薄暗さが、せっかくの料理の魅力を殺いでいる様に思った。

部屋に戻ってテレビをつけると、本土は豪雨だったようで驚いた。
島は曇りがちで雨もパラつきはしたが、陽も差して夏らしく、
雨から逃げて散歩が出来たのは何よりだった。

食後、かなり満腹だったが、外に出る。
結局、連れの希望もあって、先ほど見た店『肴や』へ。

入るとすぐのカウンターに通される。
都内にもありそうな、普通に小洒落た感じだが、嫌みがない。
カウンターと言ってもテーブルみたいなもので、向かいには、
日焼けと酒でか赤黒く光る顔、ごっつい身体にスキンヘッド、
捻り鉢巻き、カールおじさんみたいなヒゲと、
絵に描いた様な島のオジサンが座っている。
オジサン、おやっさんとかっていう言葉が似合いそうな。

メニューを眺めてちょっと考えていると、おやっさんから声が掛かる。
「何を呑もうかな、っていうんだったら、無難なところで『盛若』がオススメだよ。水割りがいい」
せっかくなのでその地元の焼酎らしい『盛若』を頼む。
隣の奴は「すみませんねぇ」と言いながらレモンサワー、おやっさんは、
「まぁ、それもいいわな」と笑う。

腹も減っていないので刺身か何かと思い、
連れと相談して『たかべ』の刺身を頼むと、「分かってるねぇ」と、
間髪入れずおやっさん。

たかべは高級魚で小さくてあしがが早いから、
東京などでは高級料亭でしか出されないそうだが、
島では獲れたてが食べられるとのこと。

続けて『鯨の唐揚げ』を勧められ、
空気を読まない連れが「小学校の時の濃い味付けの固いやつっていう印象」というと、
「んなこと言ったら大将が泣いちゃうよぉ!そんなのとは絶対に違うから。
渋谷の『鯨や』って知ってる?、あそこで出された鯨なんて喰えたもんじゃねぇ、あそこで出されるのは歯鯨のやつで、旨いのは髭鯨。
ここのは間違いないよ」
と、火がつかんばかりのオススメだったし、
『鯨や』の意見には大いに頷けたので、頼んでみる。

たかべ、絶品!
鯨の唐揚げ、柔らかくて味が染み出してこれまたかなりの高レベル。

刺身の醤油に島の唐辛子の尻尾のところが入っているのが新しかった。
おやっさん曰く、「1、2回だけ箸先でちょんちょんって突くんだよ、
3回やっちゃうと辛すぎるから、2回まで」とのこと。
刺身の味が締まって旨かった。

最初は、どうしようかと思ったおやっさんとの話も、
屈託なく、押しつけがましくもなく、人の良さが伝わってきたので、
すっかりと意気投合。
他のお客さんが帰り、僕らだけになると、話には大将も加わる。
最初はおっかなそうだと思った大将も、ピエール瀧を思わせる顔立ちに、
人なつっこい笑みが浮かぶ。

満腹のはずも『いさき』『さんま』と刺身を追加。
脂が乗りきってとろけるさんまにも驚かされた。
お世辞じゃなく、これまで食べたさんまで一番旨かった。

おやっさんは、さかんに大将を褒めちぎる。
「この人は職人だからさ。島で旨いもの出す店は3つぐらいだけど、ここは間違いなくそのうちの一つだよ。値段も良心的だし、何喰っても絶対に間違いがない」
いや、そう思った。

お通しで出されたジャガイモの炊き出しも美味しかった。
ジャガイモに挽肉、それに刻んだ生のピーマン、派手さはないけれど、
こんな食べ方があるんだと思った。

大将は、新宿・河田町の旧フジテレビ近くで店をやっていたらしい。
ボクが10年前にテレビの取材で大島に来た事を話すと、
おやっさんも含めて、「テレビってのはヤクザだよな」とかの話で笑う。

ところで、ボクの10年前の取材時には小さな番組で観光協会に相手にされずに、
居直ってゲリラ的な取材をしたことを話したが、
後々考えると、おやっさんは、どうも観光協会の関係の人だったのかも・・・苦笑

話は、島の道端でサルやキョン(鹿の一種)を見かけたことがあるか、という話から、
何故だかいつの間にか、一番強い動物は何か、と言う話になり、
大将は熊には勝てないだろうと言い、おやっさんは像の方が桁外れだと被せ、
僕らはその怪気炎のバトルを面白がった。

まぁ、とにかく、思わぬ魅力を見つけられた『肴や』での邂逅だった。
「いっつも同じ顔ぶれで同じ話をしてる俺達にとっちゃ、たまに東京からでも人が来てくれて、旨いものを紹介して喜んで貰ったり、いろんな話ができれば、それが一番なんだよ」
というおやっさんと大将の気持ちが嬉しかった。

「大島に行くって言うと『何しに?』って言われる事があるんですけど、『大島にちょこっと旨い魚を喰いに行ってくるよ』って言うのは、最高にカッコイイんじゃないかと思いました」
ボクは答辞代わりに思ったことを言った。

10時の閉店過ぎまでお世話になって、再開を約束して店を出た。
会計は7千円ちょっと。
確かに良心的な値段だったなぁ。

宿に帰り、露天風呂に行く。
『風呂が自慢』というだけあって、全体の草臥れ加減とは別に、
ここは綺麗で快適で満足。

こうして一日目を終えた。
ニックネーム パラマリボ at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | caminand

2008年06月08日

自由が丘徘徊

今、自由が丘に行ってきた。

今日は、相方が朝から夕方まで出掛けているので、一人。
用向きは馴染みの美容室に行くのだったが、
午後一の予約の前、昼食をどうするかと駅前を彷徨って、
半ば家から企んでいたウェンディーズに入る。

美容室の予約まで20分、10人近い行列に、どうしたものかと躊躇したが、
列が次々に捌けて行くので並ぶ事にする。

近頃あまり口にしないファーストフードを思い付くあたり、
たまの一人らしい、他愛のない悪戯みたいなもんだ。

店内は中高生の男女が中心で、小学生ぐらいの子供を連れた両親がちらほら、
ボクみたいなのは明らかに場違いだ。

せっかくだから一番デカイものを喰ってやろうと、
スーパーメガウェンディーズっていうのを頼んでみる。

食い始めて「メガ」さに気づいた。
マックの「メガ」の比じゃない。
オマケにチリのMサイズなんて一緒に頼んじゃったから、
道半ば、汗をかいて、喰い切れるのか心配になった・・・いい加減、卒業だな(笑)

何とかやっつけて、美容室。
馴染みの美容師さんにカットをして貰う。
彼とは以前の店から、もう5年以上の付き合い。
お互いの共通点であるスポーツの話題、今日はEURO2008の話を一頻り。

帰りがけに、この間社員旅行で行ったという沖縄の土産、泡盛を頂く。
5月初めには長い付き合いで初めて一緒に呑みに行き、ちょっとだけご馳走したのだが、
その礼もあったようだ。

駅前に戻って、お遣い物をドラッグストアにあたり、
ジメつく空気の中、ふと考えて、歩いて帰ることにする。
自由が丘からは3駅、歩いても45分程度のはずだ。

穏やかに賑わう週末の自由が丘を通り抜け、住宅街へと入ると、久々の大汗となる。

以前は、良く自由が丘で呑んでいてタクシーでも徒歩でも帰ったから、帰り道は大体分かる。
ただ、歩いてみると、相当久しぶりなのに気づき、
一度だけ入ったことのあるバーを見つけたりして懐かしく。

途中で、ハッと我に返る。
美容室に行く前に寄り道したところにあった花屋でちょっと買いたい物を見つけて、
帰りに買おうと思っていたのを忘れていたのに気づく。
どうにも癪に障って、とって返そうかとも思ったがそれも難儀、
それなら大岡山の駅周辺を当たろうと、帰り道からちょっと逸れて向かう。

そもそも、さして目的もなく歩くのが好きだが、誰かを巻き添えにするワケにも行かず、
たまの一人には、よくこんな感じになる。
まぁ、たまにだからいいのだけれど。

大岡山まで行き、商店街をしばらく行くと、花屋はあったのはあったのだが、
自由が丘のそれとは違って、気の利いた物は見つからず、
諦めて、次の候補地、洗足駅に行くことにする。

自由が丘から既に35分、洗足駅に歩けばさらに15分、そこから家まで10分、
夕方の家のことを考えて、洗足駅まで一駅は電車に乗る。

洗足駅の花屋は、今度はさすがに場所柄か、気が利きすぎていてお高く、
それもどうかと諦めて、結局、抑えで考えていた近くの東急ストアの花売り場で
イメージ通りの物を見つけ、ご満悦な自分。

梅雨は嫌いなのだが、ジメつく曇天の下、花屋をハシゴするなんざ、
雨の気配に活気づくカタツムリみたいだと思う
・・・カタツムリにしては、大した肉食ぶりだが。
ニックネーム パラマリボ at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | caminand

2008年02月04日

帰宅の車中にて

隣に立った人からアジアンなお香の匂いがした。
見やるとインドの人らしい。

混んでる車内でダイナミックなオナラの音がした。
大物に違いない。


この車内を見る限り、東京は平和な国際都市だな。
ニックネーム パラマリボ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | caminand

2007年11月24日

やじきた道中完結

さっき、ペルーとメキシコから帰って来ました。

最初はペルーの高山にすっかり低酸素症になり、
アムロの父ちゃんみたいになるかと思いました(?)が、
何とかやり過ごして、ペルーらしさを満喫し、
最後はカンクンでバカっぽくゆったりしてきました。

成田では、我が母がサプライズ的に出迎えに来ていたのに驚かされつつ、
一気に帰ってきた感が湧いたものです。

旅先では、思う事もあれやこれや、隔世の感も一頻り。

追って、それぞれの日付に記録を残して行こうと思います。

そう言えば、振り返れば国内では、
小林雅英がインディアンズ、藪田がロイヤルズと、巨人に行った藤田も含め、
YFKが揃って卒業ですか・・・。

こっちの事情にもキャッチアップせねばなりませんな。

では、取りあえずご報告まで!
気に掛けてくれた方々、まずはありがとうございました!
ニックネーム パラマリボ at 20:19| Comment(2) | TrackBack(0) | caminand

2007年11月24日

HM9) 玉手箱、帰途の空

23日(金)この旅が始まって9日目、帰国の日。

明け方2時過ぎに起きて、ベランダからしばらく夜の海を見ていた。

nightbeach.jpg

4時前に迎えが来る。
余計な物は買わない様にしたつもりだし、途中で古い服とか処分したりしたが、
荷物は随分と増えていて、パンパンに膨れたバックパックを見て、
もの凄く一杯いろいろあったなぁ、と思った。

外はまだ暗い。
空港に向かう途中、ドライバーのメキシコ人のオジサンは、
娘さんが日本に憧れていて、近々家族で日本に行く予定なのだと言っていた。

こう言っては失礼だが、ペルーの街中はともかく、田舎で出会った人達は、
ずっとここにいるのだろうと思って、何か地球の反対側まで行けてしまう自分に
たしなみがない様な感覚に囚われたのを思い出す。
その点、カンクンあたりの人は、日本に行く事も現実的なのだろう、
そんな自分達に近い境遇の人がいるという意味で、
ここは自分達の日常への帰り道なんだな、と思った。

空港はまだ閑散としていて、ほとんどの店が閉まっている中、
しばらくして開いたカフェでブリトーを朝食にしたが、
やっぱりアメリカンサイズで可笑しかった。

ペソが残っていたので、相方に土産物屋を見てくる様に提案してみた。
ロビーで待っていてもなかなか戻らないので心配になった頃、
彼女がでっかい袋を持って帰ってきた。
中にはわらで編んだベルの形のクリスマス飾り。
通貨単位を間違えて恥をかいたらしいが、
お店の人にセンスを褒められた方にご機嫌な様子。
クリスマスがもう1ヶ月あまりに迫っている事に気づいて、
たった10日にも随分と時間が経った気がした。

7時のフライト。
飛行機は飛び立ってカンクンのホテルゾーンに沿う様に飛ぶ。
相方に見せようと横を見ると、彼女はすでに爆睡モードだった。

birdview_cancun.jpg

2時間半でダラス。
アメリカに出入りするのはこの旅3回目。
用もないのに、荷物やら身体やらチェックされるのはうんざりだが、さすがに慣れた。

ダラスはNFLのカウボーイズの街で、
空港にあったオフィシャルショップに吸い込まれたけれど、
ペルーともメキシコとも無関係だと我に返って何も買わなかった。

相方が買ってきたアイスクリームコーンをロビーで食べた。
守らなきゃ、などと固くもなったが、この人はとうとう最初から最後までマイペースで、
この旅の無事は、結局、それに支えられていたのかも知れない。

ダラスから成田への便には、成田からロスへの便と同様、
座席にモニターがあって、その他の路線とは違って立派、懐かしい気がした。

このまま途中で日付変更線を越えてしまうから、23日はあっさり終わる。


しかし無事で良かった。
以前、荒みきっていたペルーも、少なくとも今回ボクが訪れた所は
すっかり観光立国の趣だった。
街角では普通にケータイを使っているし、ホテルでは衛星放送でNHKも見られたし、
何より当時は侘びしく物欲しげに見えた人々の表情が明るいのに救われた。
今回の旅をきっかけに、18年間止まっていた記憶が蘇って、
当時と今の自分が重なり、改めて時を感じた。

相方のお陰もあって一生の思い出を共有できて、
二度と来るかと思ったペルーとは「和解」できた気がする。

彼女は、相変わらず爆睡している。

もうほんの少しで成田だ。
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2007年11月23日

HM8) カリブに戯れて

22日(木)メキシコ2日目。

そもそも今回の旅行の相方のリクエストは、
「マチュピチュとビーチ」という、ムチャなものだった。
それを10日でなんてムリに決まってんだろ、というボクのリアクションに、
彼女は旅関連のサイトでそれらしいものを探してきて、
ボクはそれを見て、乱暴な旅程に驚きつつ、なるほど不可能じゃないか、と、
いくつか南米に強そうな旅行代理店を探して行きたい都市を投げ、
メニューを組んで貰ったのだった。

「ビーチ」の候補地としては、バハマとかもあったけれど、
結局、観光地としてこなれたカンクンにして良かったと思う。
本来、新婚旅行なんて、のーんびりとリゾートに行くのが定番だろうと思うが、
僕らにとってこのカンクンは、前半のペルー高地の(楽しめる)苦労と好コントラスト
全て揃ったここのお陰で、初日だけでも十分にゆったり感を満喫できた気がする。

さて、2日目。
波音と窓からの陽差しが心地良い目覚まし。
朝のバイキングのメニューの豊富さに驚いた。
さっすが、アメリカ人の遊び場だけある。
しかし、この旅の間、日中は食べ損なったり、
夜は草臥れてまともな食事をしなかったりだったが、
とにかく朝食だけはちゃんと取ったものだ。
ということで余計に朝のバイキングの充実は、何というか嬉しい気がした。

食後、プールへ。
カンクンでは、ジェットスキーや、パラグライダーが楽しめたり、
近くにはチチェン・イツァというマヤの遺跡があったり、
イルカと泳げるところがあったり、探せばイベントはいくらでもあったのだが、
世界遺産と動物の好きな相方にとっても、すでにそうした意味ではお腹一杯、とにかくのんびりしたい様で、そこらでゆっくりプランを採用した。

幸い天気が良く、プールサイドに寝そべってカクテルを頼んだり、
ちょっとプールに入ったりして午前中を過ごす。
プールの深いところに慌てて、
ヘリにアタマをぶつけるっていう定番のボケをかましたりしたが、
やっぱりプールで騒いでいるのは、ほとんど我が夫婦だけだった。

poulofcancun.jpg

午後、彼女がショッピングセンターに行ってみたいというので、
昨晩行ったのとは別の大きなところへ、路線バスに乗って行ってみる。
路線バスとかローカル交通手段は場所毎にルールがあるから、
ボクとしては意外に気を揉むのだが、そこは観光客天下のカンクンのホテルゾーン、
行き先を告げれば何と言う事はなく、運転手に教えられて無事に下車。

イクスピアリみたいな?感じで、中に運河みたいなのがある綺麗なところ。

shoppingcenter_cancun.jpg

ウィンドウショッピングの途中、ロクシタンみたいな感じのお店があって、
ペルーに来る時の1日掛かりの移動中、
身体が悲鳴代わりの異臭を放っていたのを思い出して、
オシャレっぽいデオドラントスプレーを買ってみる。

その後も土産物屋などを冷やかしてから、ラグーン沿いの雰囲気のいいカフェがあったので、昼食にする。

昨晩食べ損ねた伊勢海老を喰ってやろうと、
2人用のシーフードグリルプレートがあったので頼んでみたが、
ボリュームに圧倒され、午後の陽に照らされて大汗をかきながら格闘した。

comidomucho_cancun.jpg

徐々に陽が傾き出してくる。
僕らにとって、この旅、最後の午後。
しばらくジッとしていたい気がした。

cafedecancun.jpg

ホテルに戻り、午前中に行ったメインプールとは別のサブプール。
プールのヘリには水中に腰掛ける様になっているバーがあって
試してみたかったが、雲が出て肌寒かったのもあったから止めておいた。
プールサイドにあった天蓋付きのベッドにも寝そべってみたかったな。
予約が必要だそうで諦めたが、空いていたんだからゴネてみれば良かったかも知れない。

poulside.jpg

しばしビーチに出て波と格闘した後、
メインプールに行ってプールサイドのジャグジーに入ったりして
暗くなるまで過ごし、
すっかり日が落ちたビーチサイドで寝そべりながら、
「終わっちゃったねぇ」と言い合う。

たった2日間のカンクン。
もう一日いても良かったかとも思いつつ、旅程を思い返せばお腹一杯というところ。

最後の夜はホテルのバーにでも行ってみようかと言っていたのだが、
遅めの大量ランチで腹も減らず、部屋に戻るとすっかり心地良くなって
気づけば二人揃って居眠り・・・。

一度起きて荷造りをして、そのまま明け方の出発まで眠りに落ちた。
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2007年11月22日

HM7)インカからマヤの方へ

21日(水)メキシコ1日目。

0時過ぎにリマを発ち5時過ぎにマイアミ。
マイアミへは18年前にも立ち寄ったが、いずれもトランジット。
4時間の乗り継ぎ時間の間、ちょっとだけ外へ出たが、
さすがに暑いのが分かった。
高地ペルーで重ね着していたフリースとかウィンドブレーカーなどは、
荷物の奥に圧縮してねじ込んでいた。

すぐにチェックインしてゲートへ向かう。
フリアカの空港で買っていた土産物用のコカキャンディを咎められやしないかと
一人でヒヤヒヤしたが、事なきを得た。

カンクンへは1時間半ほど、現地時間の10時半に到着。
飛行機の窓から見える海の色がカリブのそれらしくてワクワクした。
空港の外へ出ると雨上がりで、モワァッとしていた。

日本人のガイドさんが迎えてくれる。
ホテルまで20分ほど、途中、車を止めて、エメラルドグリーンの海を見せてくれた。
ガイドさんは「メキシコはとにかくいい加減ですから、何があっても驚かない様に」
と笑いながら繰り返していた。

ペルーではエコノミークラスにしていたホテルも、カンクンではデラックス、
おまけになぜか数段上のジュニアスイートにして貰って、
窓の外はすぐにエメラルドグリーンの海だし、
部屋の中には巨大なジャグジーがあって、リゾート感爆発!

いい加減具合が良い方に出たらしいのは何より。
最初の高地修行のご褒美かもね、と言って笑い合った。

前日のナスカと砂遊びの後、初めてのシャワーを浴びてさっぱりした後、
ミニバーのビールで乾杯。
ほどなく、ルームサービスでピザとナチョスを頼む。
もちろんコロナも4本。
ペルーではほとんど飲まなかったが、この環境ならそうこなくっちゃってとこだ。

balcony_cancun.jpg

広い部屋を使い倒してゆっくりしたかったボクを尻目に、
相方はそそくさと水着に着替え、部屋を飛び出して行き、
ベランダから見ているボクの目の前で、
勇んで海に飛び込む姿がたくましくすらあった(笑)

beachofcancun.jpg

んじゃとボクも着替えて波打ち際に降りる。
海に入ると波のスピードとピッチが早くて驚いた。

空には雲があって風も強めだったが、雨が上がったのは何より。

波打ち際のビーチチェアに寝そべってゆっくりと思いきや、
ほどなく彼女は、ビーチ沿いにあるホテルのプールに向かい、
ザブンと入って犬かきしたり平泳ぎしたり。

ガイドさんが車の中で言っていた。
「日本人にも欧米人の様に、ビーチやプールを前に、
ゆっくりと読書なんてリゾートライフをやってみてもらいたいものですが、
どうもそうはならないんですよね、もったいないって思っちゃうからね、
我々日本人は」
彼女は元水泳部の血が騒いだのかも知れないが、
やっぱりどう考えても生粋の日本人だな、と思って笑った。

夕方、部屋に戻って一休みの後、
ホテルを出て、歩いて15分ほどの繁華街で、ショッピングセンターを冷やかしてから、
ガイドブックで目を付けていた「花いち」という和食屋へ。
本当はここの伊勢海老御膳が食べたかったのだが、
海が荒れていて伊勢海老が捕れなかったとのこと、
刺身はなんだか水っぽくてイマイチだったが、それでも久々の和食で、
この日を締める。

帰り道、暗がりの道に向かいから来る人影にちょっと警戒したりもしたが、
何と言う事はなし。
コンビニみたいな、ドラッグストアみたいな店で
ミネラルウォーターを買って、ホテルに戻る。

枕元に聞こえる波音が心地良かった。
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2007年11月21日

HM6)砂上にて

20日(火)ペルー5日目。

7時にフェルナンドが迎えに来てリマの空港。
フェルナンドが空港内での荷物預けなど、手続きをみーんなやってくれた。
彼はドライバーのはずだが、本当にお世話になった。
彼とはここでお別れ。
せめてもと思い、本当はいらないのだが、チップを弾んだ。

今日はナスカ。
今日以降の旅程はボクも初体験だから、改めてワクワクする。

航空券には便名も座席番号もなくて、一瞬、戸惑ったが、
ゲート横のカウンターで聞けば、待っていれば呼ぶからとのこと。
どうやらシャトル便みたいなものらしかった。
飛行機の自由席っていうのは初めてだった。

48人乗りのアントーノフ24という機体。
ずんぐりしていて、プロペラ機特有のブーンという高めのノイズと、
どこかレトロな円い窓がちょっと冒険っぽいワクワク感。

antonov.jpg

リマを飛び立ち、南へ。
ナスカ周遊の拠点であるイカへ向かう。
途中から眼下に拡がる砂色の大地が印象的で、
まだだというのに、どこかに地上絵がありそうな気がする。
1時間半ぐらいだったろうか、イカに降り立つ。

airport_ika.jpg

イカは良い天気。こぢんまりして綺麗な空港だ。
ゲートを通ってレストランみたいな所でしばし待つ様に言われ、
表のテラスに出ると目の前にセスナが止まっている。
青空にテラスの芝生の緑が心地良い。

レストランの隣の土産物屋には、「お土産屋」と日本語の表示。
案内係の人も日本語が上手で、何だか安心できる。

10分ほどすると招集が掛かり、普段からかは知らないが、日本人が集められる。
この日は我々夫婦を含めて全部で7人。
案内係の人にチケットを渡され、地上絵上空へと向かうセスナに乗り込む。

12人乗りのセスナに外国人2人を含めて9人。
セスナ初体験の僕は、身体をかがめないと入れない広さに驚く。
座席は2番。一番前、横3列の真ん中で、すぐ前はコクピット。
2人のパイロットが座る。
操縦を直接見るなんて初めてだ。セスナが飛び立つ。

パイロットの一人はスペイン語、英語、それに日本語でも案内をしてくれる。
地上絵のあるところまでは30分ぐらいかかるらしい。

窓は大きくて、真ん中の座席からもちゃんと外が見られる。
しばらくするとパイロットから声が掛かり、セスナは機体を大きく傾ける。
始めの地上絵は三角形。
最初はどう見えるのか見当がつかずにキョロキョロしたが、パイロットが日本語でも、
「ココココ、ハネノシタ」などと言ってくれて、はっきり見えた。
けれど、単純な図形だし、まだ「絵」という感じは薄かったのだが、
次に宇宙人、三角形と違って茶色い小山の斜面に描かれたそれは、
はっきりと「地上絵」だと分かった。

セスナはそれぞれの地上絵の上に来ると、左、右と機体を傾けて、
どちらからも良く見える様に飛んでくれる。酔いはしないかとも思ったが、
リズム良く安定した飛行で、安心して思いっきり身体を預けて窓の外に集中できた。

また、次の地上絵までにそれぞれ数分あって、
いかに広いところに散らばっているのかが分かる。
次は何の絵なのか日本語でも説明があって、「チョットマッテ」と言ってくれたので、
テンポが分かると見逃す心配がないのが分かった。

サル、ハチドリ、クモ、コンドル、ペリカン・・・
写真でしか見た事のない地上絵が続々と現れる。
地上絵は遙か昔に作られたもので、今でも当時の任務を全うしているのか、
ただ静かに空に向けて寝そべっている。
けれど、それをこうして直接目撃する迫力はさすがで、イマジネーションも湧いて
神秘主義とは無縁の僕にも「宇宙に向けられている」という説が頷けるし、
やっぱり来て良かったと思った。
上から見ているボクがむしろ絵に見られている様な、そんな感覚も愉快だった。

condor_nazca.jpg

hachidori.jpg

ところで、それぞれの地上絵が見られるのは10秒ぐらいだろうか。
裸眼で見るには十分だけれど、写真を撮ろうとする人は、あまり狙わず、
窓一杯に撮っておいて後で確認した方が良いかも知れない。
僕は最初、ファインダー越しに夢中になって生で見ていないのに気づいて、
途中からそうするようにした。
気づけばバタバタしているのはボクだけで、
右横にいた相方は、しっかりと裸眼で窓の外をじっと見ていた。

最初の地上絵から30分ほどして、このあたりに拡がる地上絵を一通り巡った後、
セスナはイカへと戻った。
着陸の時、先の方に滑走路が見えてそれが徐々に近くなって着地の衝撃・・・
操縦しているみたいな感覚もご機嫌だった。

cockpit.jpg

コクピットの上に、チップ歓迎の貼り紙が各国語に混ざって日本語でも書いてあって、
面白かったし渡そうかと思ったけれど、狭い機内を出るのに手間取って渡しそびれた。
白人さんも含め、この貼り紙に反応しようとしたのはボクだけだったらしいが。

イカに戻って終わりかと思いきや、ここからバスに乗せられる。
イカに来た客が一通り順番にセスナに乗って戻るまでの時間、
エアラインのサービスで市内観光が付いているそうだ。

最初は博物館
中にはこのあたりから発掘されたらしいミイラが一杯展示されていた。
インカのミイラは夏に上野の展覧会でも見ていたので衝撃はそれほどだったが、
何か、何百年も経って見せ物にされ、子孫の飯の種になってやっている、
そんなご先祖様に「おつかれさま」と言いたい様な気分だった。

次にラス・ドゥナス(砂山)というホテルでのランチバイキング
テラスの周りにはプールがあって、失礼ながら、
ペルーにもこんなゴージャスなリゾートっぽいところがあるんだと驚いた。

食後、近郊にあるワカチナ砂漠。
砂漠だから当たり前なのだが、本当に四方砂ばかりだったが、
その中のオアシスで降りる。
砂漠に降った雨が地下を通って湧いているところだそうで、池とそれを囲む木々、
ホテルや土産物屋など、いわゆる本当のオアシスっていうことに感激した。

着いてほどなく、ガイドが一人25ドルでサンドバギーがあると教えてくれる。
一緒にいた日本人の中には知っていて目当てにしていた人もいたらしく、
乗らない手はないだろうというので、僕らも行ってみる事にする。

8人乗りのバギー。
ちょっと遅れて乗り場についた時、二人並んだ席がなかったのだが、
ドライバーが最前列にいた男の人に後ろに行く様に言って、
僕らはドライバー横の特等席にありついた。
何だかこの度は、いつも席に恵まれている気がする。
どいてくれた一人旅の男の人に後ろめたい気がしつつも、
今にも走り出してしまいそうなのに焦りながら、
締め方が分からなかった脚の間と両肩を繋ぐシートベルトを何とかやっつけた。

砂漠に繰り出して、山や谷をすごいスピードで爆走、
ショックのある度にみんなでワーキャー言った。
山を登って急に下り坂になったりすると、
本当にシートベルトに縛られてなきゃ、間違いなく飛び出す勢い。
気づけばボクなど数人のメガネ派以外にはゴーグルが貸し与えられていたが、
前から飛んでくる砂粒が顔に当たって痛くて、
なるほどゴーグルが必要な訳がよーく分かった。
真っ青な空に砂色のコントラストが眩しかった。

buggy.jpg

途中、砂山の上でバギーが止まり、サンドボード。
一人ずつスノーボードで砂山を滑り降りるというので、
立ち乗りかよ?!と怖じ気づいたが、腹這いだそうで安心。

2番目に降りた我が妻の雄姿に大笑いだったが、
他の女性に言われたお陰でシャッターチャンスに気づいて、すかさずカメラに収めた。
おずおずと滑り降りた彼女は、途中から加速がついて、
どこまで行くのかという勢いだったが、何とか無事に止まって立ち上がる。
米粒ぐらいの大きさに見えるほどの崖下からも、
手を振って笑っているのが分かったので安心した。

最後に降りたボクは、体重を前方に乗せて両脚を浮かせてみたが、
どんどん加速して最高に痛快だった。

いや、ペルーもラテンだ。
クスコやプーノといった高地とはまたひと味違ったペルーの魅力を感じた。
新婚旅行も後半になって、やっとリゾートっぽくなったね、と言って笑い合った。

1時間ほど砂まみれになって、オアシスからイカの空港へと戻った。

イカ、気に入った。
いつかまた相方と一緒に、ラス・ドゥナスとワカチナで1週間もいてみたいものだ。

イカからリマ。
16時半、当初18時ぐらいと聞いていたのだが、予定より随分と早い。
実はペルーはこれでおしまい。
メキシコに向かうべく、23:55のマイアミ行きでペルーを発つ。

結局、もったいないが、市内へ行くにも中途半端だったので、
8時間近くも空港で過ごした。
幸い、綺麗な空港。
土産物屋をハシゴしたり、カフェで休んだり。

空港の勝手が分かった相方があちこちに行ったりする後ろ姿が微笑ましく、
無事にペルーを満喫できて本当に良かったと思った。

airport_lima.jpg

ペルーの最後の時間は、この旅初めて、ゆっくりと流れていった。
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2007年11月20日

HM5)湖上集落〜下界へ

19日(月)ペルー4日目。

ホテルでの朝食の後、迎えまで時間があったので街に散歩に出た。
ペルーの通貨、ヌエボソルが足りなくなっていたから両替をしようと思った。
ペルーではほぼ普通に米ドルが使えるものの、
地方都市ではソルの方がレートがいいと聞いていたからだったが、
まだ8時過ぎで銀行はやっておらず、取りあえずアルマス広場に行く。
ちなみにペルーだけではなく、南米の都市は大抵、街の中心にアルマス広場がある。

好天でアルマス広場にはお約束の教会を眺め、しばしベンチに腰掛ける。
近くにいた靴磨きのオジサンに「トジョタ!」と声を掛けられる。
トジョタというのはトヨタの現地訛りの発音で、
僕がトヨタカップのウィンドプレーカーを来ていたから。
僕の靴は泥まみれだったけれど、磨いて貰う様なものではなかったからパス。

今日の相方はそこそこ体調もいいらしく、天気とトジョタおじさんに、
いや、正確に言えばトヨタ呼ばわりされた僕を面白がって、ニコニコしている。

しばらくして彼女が高山病の影響か鼻づまりが鬱陶しいらしく、
薬が欲しいというので道端のドラッグストアに入る。
「ナリス(=鼻)」と言ってみたものの、鼻づまりと言うコトバは知らず、
鼻水じゃなくて、というニュアンスを伝えようと
「No Agua(=水じゃない)」などと言ってみたり、
鼻の穴を指でふさぐ動作をしてみたりすると、
店員の女性が何か点鼻薬みたいなのを出してきてくれた。
ちなみにこの店は現地っぽい感じじゃなく、チェーンみたいな雰囲気で、
ロレアルのシャンプーとかも置いてあった。

calle_puno.jpg
※プーノ中心部の通り

中央市場に行ってみる。
2階建て、天窓から陽が差し込み、意外と清潔な感じで、
肉の塊や魚や雑貨など、ブロックごとにそれぞれ生活感があって
テレビの紀行物とか見ているみたいで楽しかった。

mercado_puno.jpg

市場の向かいに両替所を見つける。
街中の両替はレートは良いがごまかされたりすると聞いていたが、
銀行のあるブロックからは歩いてきてしまったのもあって、
面白半分で20ドルだけ替えてみると、何だか事務的で実際にレートも良く、
なーんの問題もなくて拍子抜けな感じだった。

ホテルで小袋で売られていたコカキャンディが
ネタ的に土産にいいかと市場に戻って大袋を探すが、
尋ねたおばちゃんに連れて行かれた先に売っていたのは
山と積まれたコカの葉っぱそのもので、大いに笑った。
・・・持って帰ったらフツーにタイホですね、これは。

ホテルに戻り、昨日ホテルまで送ってくれた現地ガイドの女性、
シルビアと落ち合い、ワゴンに乗せられて湖畔の船着き場へ行く。

今日のメインイベントは、チチカカ湖に浮かぶウロス島。

そう言えば途中で見かけたサッカー場に、ビックリしてシルビアに訊くと、
プロチームがあるとのこと。
3800mでサッカーができるなんて、どんな身体をしてるんだか。
けれど、国内リーグってムリだろうな。
海近くのリマのチームがここへ来て試合なんて出来るはずないし・・・
別にボクが心配する事じゃないんだけれど(笑)

案内された船は15人乗りぐらいのクルーザーで、2人用に貸し切り♪

cruiser.jpg

シルビアは小柄で朗らかな女性で、英語中心だが片言の日本語も使ってくれて、
とても分かりやすかった。
ウロス島っていうのは湖畔から船で30分ほどにある、
トトラという葦を敷き詰めて作られた浮島群で、今は40もあるそうだ。
以前は数島だったのが、
島民が仲違いしたりなど様々な理由で島が切り分けられて増えたとのこと。
それぞれの島には6〜8家族が住んでいるそうだ。
チチカカ湖は標高3810m。
富士山より高いところに長閑な景色が拡がる。

26foruros.jpg
※まだやるか?チチカカ湖を行く26。

島の一つに上陸。
カミサラヘ、だったか現地語のコンニチハを船で習い、
島のあんちゃん、おばちゃんに挨拶すると、笑顔で迎えてくれた。
ウロス島へは以前も来たが、確かに当時より島が小振りになっている気がする。
最初に、やはりトトラで編んだ弓形のソファに座る様に言われ、
島のあんちゃんがミニチュアを使って丁寧に島の作り方を教えてくれた。

uros.jpg
※島の全景。手前にあるのが「トトラソファ」。

トトラは湖に生えているのだが、
島にも家にもベッドにも、そして食料としても使われるそうだ。
当然だが水に浸かったトトラは腐って行くから、月に一度、
島中に新しいトトラを敷き詰めるのだそうだ。
以前から疑問だったのだが、島が流されないのは、
湖底にワイヤーで固定されているからだそうで、
分島など移動の必要がある時には、島ごとボートで引っ張るとか・・・なるほど。

トトラをかじってみる様に言われてやってみたが、
みずみずしいサトウキビみたいで、結構美味しいと思った。
慣れないと腹をこわすからと、吐き出す様に言われて、
もったいない様な悪い様な気がした。

次にトトラでできた家の中に案内された。
あろうことか島には太陽光発電装置があって、
家では普通に衛星放送が見られるそうだ。
太陽光発電はフジモリ元大統領からの贈り物だそうで、
島民は僕たちを日本人と知ってか、盛んにフジモリさんを讃えていた。

衛星放送と言えば、ペルーに着いた最初の晩にホテルでNHKまで見られて
大相撲をやっているのに驚いたが、
この葦の島の人でも朝青龍とか知っているのだろうか?

トトラのベッドも寝心地が良さそうだ。

あんちゃんがやおら壁に掛かっていた極彩色の民族衣装を手に取り、
僕らに着てみる様に言う。
これも商売かと性悪説が頭をよぎりつつ、断るのも無粋かと着てみると、
「フジモリ〜」と言われ、それを見ていた相方が似合いすぎだと爆笑していたが、
彼女自身の現地人ぶりも十分に似合っていて面白かった。
ちなみにウロス島の人はクスコなどで主流のインカの末裔であるケチュア族ではなく、
アイマラ族が中心だそうだが、衣装は写真などでよく見かけるペルー人のそれの、
色だけ原色に近いヤツ、といったところだ。

僕らはあんちゃんにカメラを預け、島のおばちゃんを挟んで写真に収まった。
高地の陽差しに真っ黒くなっているおばちゃんも歯は真っ白で、
そのコントラストが印象的だった。
そう言えば、トトラは歯ブラシにもなるような事を言ってたっけ。

結局、写真撮影でお金を求められる事はなくて、
疑った事をあんちゃんおばちゃんに悪い気がした。

島では、2人のおばちゃんが土産物を並べていた。
ガイドのシルビアに「ケンカの原因になるから一人から一杯買わない様に」と言われ、
なるほどと思いながら、結局、そのうちの一人から一つだけ、民芸品を買った。
いやぁ、織物とか見事で実際に欲しかったけれど、荷物になっちゃうんだよねぇ。
ごめんね、おばちゃん達。

シルビアが「一人25ドル出せばトトラ船で他の島に連れて行かせるけど?」
というから、
買い物できなかった後ろめたさを、それこそ前向きな興味で埋められるし、
ま、そんな言い訳以前に二つ返事で頼む事にした。
いくつかある中から櫓付の双胴船を選ばせてくれたので、ご満悦で乗り込む。
漕ぎ手は案内してくれたあんちゃんともう一人。

船に乗り移る時、おばちゃん達が「しょじょ寺」の唄で見送ってくれた。
相方は「ウルルン」みたいと言って、ウルルンしていた。

totoraboat.jpg
※左にいるのが島のあんちゃん。ずっと笑ってた。

途中、子供達がボールで遊んでいる島の横を通ると、
あんちゃんが学校だと教えてくれた。

しばらくして大きな島に着く。
クルーザーで先に着いていたシルビアによれば、
このあたりの都心みたいなところだそうだ。
観光客も結構いて賑わっていた。

島には土産物屋やレストランや、(もちろんトトラで出来た)ホテル、
国際電話も掛けられるという(やっぱりトトラで出来た)電話ボックスなどがあった。
何故か相方は電話ボックスに惹かれた様で、盛んに写真に撮る様に言われたが、
その他は、先ほど歓待を受けた島に肩入れしたい様で、
この島はそれなり、みたいな事を言っていたのが可笑しかった。

プーノへと戻る。
ペルーに行こうといい出した当初、
彼女はチチカカ湖とウロス島を知らなかった様だが、
ウルルン好きの彼女としては満足だったらしく、
僕としてはカードを切って良かった良かった。

プーノから車でシユスタニ遺跡。
車を降りて3800mの高地を1時間も歩くと聞かされて、
かなり後ずさりな気分だったが、
シルビアが、僕らのリアクションの機先を制してなだめる様に
「ゆーくり歩くから」と言うので乗ってみる事にした。

見晴らしの良い丘の上に、
5メートル以上はあるだろう、巨大な瓶みたいな墓がいくつかある。
西暦1000年頃、プレインカ時代のものだそうだ。

siyustani.jpg
※下から見上げる墓。

丘の裏側には湖があって、その真ん中に孤島がある。
そこでは超高級な毛が取れるというビクーニャを飼っているそうだ。
面白みはないのだが、音が何かに吸われているみたいに静かなところで、
畏敬の念を感じさせ、興味深かった。
いわれは忘れてしまったが、聖なる場所とされる一角があって、
最近増えたらしい韓国人の団体がドカドカと入っているのを
シルビアが険しい目つきで見ていたのが印象的だった。
「禁止されている訳ではないけれど、聖なる場所だから、入るべきではないと思う」
シルビアのそんな姿勢に共感が持てたので、僕たちは周りから眺めるだけにした。

車で1時間半ほど掛けてフリアカの空港まで送られ、シルビアとはここで別れる。
アンケートみたいなのを頼まれて、僕はお礼代わりに最大限の賛辞を書いておいた。

一つしかないレストランコーナーが混んでいたので食事を諦め、
相方にスナックを買ってきてくれる様に頼んでみる。
気づけば旅の間、僕が仕切ってばかりいたので、多少空気にも慣れたろうし、
はじめてのおつかい、ペルー編』をやってもいいだろうと思って(笑)
いや、上から目線ではなくて、自分で試行錯誤した方が良い思い出になるものだし。

ちょっと離れた場所から見ていると、
彼女は、たくましくも、ぞんざいな売り子の姉さんに身振りで立ち向かって
プリングルスとアイスバーを買ってきてくれた。
プリングルスが5ドルもすると聞いてボラれたのかと思ったが、
後で他で見てもそのぐらいするのが分かった。

僕らは待合室の外でそれを昼食代わりにした。
物欲しそうな子供達が来たので、
プーノで買っておいたキャンディを両手一杯渡したら喜んでくれた。

チェックインしてフライトを待つ間、土産物屋で、
コカキャンディーを見つけて2袋買う。
こんなもの日本へ持ち帰れるのかと思って訊いたけれど、
「アメよ、ただのアメ」と店員のお姉さん。

2時間ほどのフライトでリマへ戻る。
かくして高地修行?は終了。
平地のリマに着いてしまうと、
頭痛や風邪っぽい症状は嘘の様に消えているのに気づいた。
相方の顔色もすっかりいつも通りに戻っていてホッとした。
もう少しゆっくりした旅程を組めば、高山病にも悩まされなかったのだが、
過ぎてしまえばこれもいい思い出だ。

リマではまたフェルナンドが迎えに来てくれ、
初日に泊まったサンアウグスティン・エクスクルーシヴというホテルに戻る。
知った顔と知った場所に、何か自分達の場所に帰ってきた様な
ホッとした感覚に包まれた。

相方はホテルでゆっくりしたかった様だが、
リマの街を知らぬままもどうかと思ったので、
フェルナンドが勧めてくれた、歩いて10分ほどの近所にある
ラルコ・マルという海沿いのスポットに行ってみた。
夜のリマをちょっと警戒してはみたが、比較的安全な新市街で大通り沿いでもあり、
散歩感覚を楽しめて良かった。

ラルコ・マルは、海沿いの通りから海へと降りる斜面沿いに作られていて、
ブティックなどが居並ぶショッピングモールとレストランなどがあった。
看板やイルミネーションがきらびやかで、デートスポットらしい趣だった。
前回は荒れ果てた旧市街にしかいなかったので、リマの明るい顔に驚いた。

彼女はあまり腹も減っていないというので、
Bembo'sという地元のハンバーガーチェーンの店でセットを買って、
アトリウムで夕食とした。
何だか都会的な味が新鮮だった。

larcomar.jpg

食後しばらく高台から暗い海をみたりして、ホテルへ戻り、
チェックイン時に貰ったウェルカムドリンクのクーポンを使って
ロビーのバーでピスコサワーを頼んで、高地修行完遂を祝って乾杯した。

lobby_sanaugstin.jpg
※ホテルのロビー。クスコやプーノに比べると格段に都会的。

気づけばもう半分以上過ぎてしまったんだなぁ・・・。
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2007年11月19日

HM4)さらに高く、時の峠も越えて

18日(日)ペルー3日目。

朝食の後、ロビー。
相方が昨晩書いた絵はがきを出してくれる様にホテルのボーイさんに頼むと、
快くOKしてくれた。
この若者は理解力は未知数?だったが、
笑顔の接客というホテルマンとしての在り様は立派なものだ。
チップの受け取り方が覚束ないのも、
渡し方の覚束ない日本人としては好感が持てた。
日系ホテルだったからかも知れないけれど、このあたりの「成長」も、
18年前と比べるとペルーの今が分かるというものだ、と思った。
ホテルミドリ、作りはアバウトだけれど、清潔だし、可愛らしい佇まいで、
何というか、アットホームな、知らぬ土地にあってホッとする良いところだ。
次来る事なんてあるのかは知らないが、また来てみたいと思う。

7時半にロビーに迎えが来る。
今日は、プーノへの移動日。
プーノはクスコからさらに高く、標高3800メートルにある。
今日は、相方より僕の方が頭痛がヒドイ。
これからさらに高いところに行くのか・・・苦笑

ワゴン車は10分ほどで長距離バスのターミナルに着く。
ターミナルと言っても、何か仮の駐車場みたいな空き地だ。
ターミナルには高級っぽい観光バスが2台。
僕らには運転席後ろ、前方の開けた最前列が用意されていた。

クスコを後にする。
前回は確か4日いた。
今回はたった2日だったが、恐らく僕ら2人にとっては忘れる事はないだろう。
一人旅もいいものだが、こうしてパートナーと2人というのは、
何というか人として必要十分な基本形だと思う。
比べる経験を経て、本当にそう思う。

プーノまでは約9時間。
途中5箇所に寄っていくそうだ。
以前来た時、このルートは長距離列車だったが、
今は道路が整備され、途中で寄り道も出来るから、むしろバスが主流らしい。
20人程度のキャパだろうこのバスでは、
女性スタッフがお茶のサービスをしてくれたり、
ガイドも英語とスペイン語だが、イケメンがノリ良く丁寧に説明してくれて、快適だ。
当然トイレもあるのだが、ドアが開くと車中に糞尿の匂いが溢れて、
こればっかりは閉口したけれど、
他の欧米人達はみんな空気を読んで途中下車で済ませたのか、
思い返せば、使ったのは我が相方だけだった気がする(笑)

loadtopuno.jpg
※車窓からの風景。空が青い。

最初に留まったのはアンダウワイリーヤスという教会のあるところ。
内部の装飾の見事さから「南米のシスティーナ礼拝堂」と言われるそうだが、
メインの装飾が地震で倒壊して修復中というのを差し引いても、
その呼び名は大袈裟だろう(笑)

ただ、庭というか教会前の広場の土産物屋の色鮮やかさ、
何よりそれを映す陽のまぶしさ、空の青さが印象的だった。
相方に見せたかった高地ペルーの魅力の一つは、
この宇宙に近い故の青い空だったから、好天は最高の演出だと思った。
教会前で互いに写真を取り合う時、
彼女にくれぐれも空を大きく入れる様に頼んだのは言うまでもない。

次にラクチ遺跡。
英語のガイドは良く分からなかったが、
車中で売っていた日本語のパンフレットが多少助けてくれた。
とは言え、このパンフレットのタイトル
「旅人を魅了する地理学、文化人類学の案内」という直訳調を見れば、
その「能力」は察して貰えるだろうとも思う(笑)

で、ラクチ遺跡は簡単に言えばインカ時代よりずっと昔のものらしい。
13メートルの土壁が当時の神殿の屋根の中央を支えていた名残とのことだが、
まぁ、地味だしさっぱりワカランというところ。

thewall.jpg

その他に残る壁の間の通路になっているところは
夏至の日に直射日光が抜けるそうで、
その点は、なるほどらしいなと思ったけれど。

途中でトイレに行きたくなったボクは相方にカメラを託して先に戻った。
カメラには円筒形のサイロの他は、何故か牛とリャマが写っていた。
その辺にいたらしいが、彼女の興味も遺跡にはなかったようだ。

駐車場みたいなところに土産物の市みたいなのがあって、
インカっぽいデザインの木皿を買ったのが収穫だったな。
さっきも書いたが、こうした露天の土産物屋は、土と緑しか色のないところに、
陽に照らされて鮮やかな色を加えてくれる、それが楽しいと思う。
それにしても、インカだけじゃないが、
単純な図形と鮮やかな色味という組み合わせには徹底的に弱いな、オイラは。
思い返せば、小さい頃は国旗や航海旗とか眺めてれば幸せだったもんな(笑)

mercado_canpos.jpg

シクアニという所で昼食。
ここは何だろう、殺風景な小さな街の中の塀に仕切られたガーデンレストラン。

世界各国の旗がぶら下がっていて、中には僕たちみたいな外国人ばかりで、
多分、そういうためのところなんだろう。
ビュッフェスタイルで取った食事をトレーに乗せて庭にあるテーブルに座る。
テーブルには南米人の観光客とアメリカ人らしい女性達。
アメリカさんは、僕がくしゃみをすると、
お約束にブレシューと言って笑っていた。

ここの食事も旨かったが、ゼリーが意外に美味しかったのが印象的だった。
チチャというペルーのお酒と、インカコーラというペルーのコーラ、
それぞれの味のがあって、面白かった。

ここまではピーカンだったのだが、
次に降りたラ・ラヤでは、そらはすっかり黒く、
風に煽られた霧雨が横から冷たく突いてきた。
高地らしく、照っていれば熱いが、陰れば一気に寒くなる。
ちなみにラ・ラヤはこのルート最高到達点だそうで、標高4335m。
当たり前に富士山より高い。
道端に標識があって記念撮影をしたが、それ以外は何もないところだ。
周りを見渡すと草木もまばら、そういう高さということだろう。

標識近くに現地の人が土産物の露店を出していたが、
雨で商売どころじゃなさそうだった。
しかし、この人達はこのあたりに住んでるんだろうか?

最後のプカラ遺跡では、僕らはバスに残って他の客を待っていた。
何だかインカより相当前の遺跡らしく
石器時代の物を扱う博物館もあるそうだが、
良くワカランし、何より頭痛で最初からパスと決め込んでいた。

退屈するかと思ったバスの旅も、頭痛以外は至って快適、
車窓からの雄大な景色も楽しみつつ、17時過ぎにプーノに着いた。
プーノは航路のある湖では世界最高の所にあるというチチカカ湖の湖畔の街。
プーノに着く間際、車窓からこの湖が拡がっているのが見えて感動した。

ターミナル(こちらは比較的立派な)に着くと、当たり前の様に迎えが来ていた。

それにしても、前に来た時には、日が落ちてからプーノの駅に着いて、
ホームでナイフを持った男に追いかけられ、
街に飛び出してみれば町中停電、暗い街を塀づたいに歩きながら、
すがる様に安宿を探して飛び込んだものだった。
(当時、停電は対ゲリラ対策だと聞かされた)

今回のプーノへの迎えは現地スタッフだけを頼んだが、
以前を思えば、煩い様だが何という違いだろう。

ペルー自体の進歩と自分の置かれている立場の違い、その掛け合わせが、
前回と今回との違い、そのコントラストをくっきり過ぎるほど
際立たせて見せてくれる気がした。

既に当日からそうだったが、今のペルーは当時僕が「二度と来るか!」と
吐き捨てたペルーとは違う事が良い意味で骨身にしみて分かった。

案内されたホテルは古く、その点では以前のイメージに近かったが、
それでもロビーにはネット接続できるPCがあったりして愉快だった。
やっぱり何か解凍された冷凍人間みたいな気分だ。

patio_puno.jpg
※ホテルにパティオが多いのもスペインの影響らしい

hotel_puno.jpg

18時前に着いたし、翌朝は比較的ゆっくりな9時半出発だったから、
プーノの街に出てみようかと思ったが、
二人ともすっかり頭痛にやられていたので、ここは無理せず、
彼女が日本から持ってきていた100均の煎餅を食べて寝る事にした。

なかなかよい一日だった。
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2007年11月18日

HM3)空中都市へ

17日(金)ペルー2日目。
今日は(相方によれば)早くもこの旅のメインイベント、マチュピチュ行き。

朝食の時に昨日の女の子と会った。
体調が悪くて寝ていたというお母さんも一緒で、彼女達もマチュピチュに行くそうだ。

食事の後、5時半に昨日の小笠原さんが迎えが来てくれて、駅へと向かう。
今日のマチュピチュへは小笠原さんがガイドで付いてくれる。
2人のために専用ガイドさんとは、何だかVIP気分だ。

車で10分ほどで駅。
朝の陽光にあちこちから湯気の立つ駅には、確かに覚えがあった。
18年前にはガイドなんていないしチケットは前日に駅に買いに来た様に思う。
今日は当然の様にチケットはガイドさんが渡してくれる。
しかし何より違ったのは列車が綺麗だった事。
観光客専用列車らしく、天井にも窓がある。

マチュピチュ最寄り駅である終点のアグアス・カリエンテスまでは4時間半。
クスコからしばらくは、ちょっと行っては戻りを繰り返し、
ダラダラとスイッチバックで山を越える。
しばらく行くと山間を抜けて行く様になるのだが、
天窓からも山々が迫る様に見えて景色を堪能した。

tren_machupichu.jpg

道中、ガイドさんがひたすらしゃべり続ける。
今朝も早起きだったから、ちょっと眠ろうと思っていたが、
まぁ、気を配ってくれているのが分かるし、面白かったし、まぁ、よしかと。

アグアス・カリエンテス到着。
駅舎といい駅前といい、いい意味で完全に観光地の趣だ。
通りに出て居並ぶシャトルバスに乗り、つづら折りの坂を登ること30分、
マチュピチュの入り口に到着。
ここにもちょっと前に出来たという立派なホテルがあって驚く。

入り口を抜け、石で出来た階段みたいな急な山道を登ると、
感情をあまり表さない相方が、「ほぉ!」という様な感嘆の声を上げる。
写真で見知った、いや記憶の中にもある、あの空中都市の全貌が現れる。

machupichu.jpg

前に来た時は一人で勝手に来たから、確かガイドはいなかったと思う。
車中で知り合ったペルー人の家族と一緒に回ったが、コトバも覚束ず、
この場所の意味や各エリアの役割なんてサッパリ知らないまま帰ったが、
今回はガイド付、オマケにマチュピチュの入り口からは、
現地人の女性ガイドまで付いてくれる超VIP待遇、
かなり細かく案内して貰えて、
今さらながらにマチュピチュを良く知る事ができたし、
マチュピチュに月の神殿があるのに対して、
コリカンチャには太陽の神殿があるなど、
昨日行ったクスコ近郊の遺跡についても、マチュピチュとの関連を含め、
改めて教えて貰えたのが副産物だった。

marines_machupichu.jpg
※「マリーンズ、空中都市に立つ」これがやりたくて行った気もする

途中、朝食時に挨拶した女の子とお母さんに会ったが、
彼女たちは英語の混載ツアーにいたから、
よっぽどこっちに合流させようかと思った。
ガイドさんの手前もあるから逡巡して見送ったけれど、
後で考えたら、それこそチップでも弾めばむしろそれが良かったかも。
結局、この親子とはこれを最後に会う事はなかった。

さて、ふと気づくと、歩いても息は上がらないし、頭痛もない。
聞けばマチュピチュは標高2400メートル、
クスコから1000メートル低いから、高山病も和らいだらしい。
空中都市に降りてくる、っていう感覚がどこか愉快だった。
相方の顔色もすっかり良くなって、一番の目的を制覇できてご機嫌らしく、何よりだ。

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※マチュピチュの中にいたリャマの赤ちゃん。生後2日目だそうだ。

そう言えば、クスコからここまでインカ道を歩くと4日掛かるところを、
インカの時代には17時間で走破した強者があったそうで、
教えてくれた現地ガイドに、
「インカのマラトンだね」というと頷いていたが、
実際、どんな化け物だったのだろう?
逆に彼が東京に来たとしたら排気ガスとかがダメそうだけれど・・・。

しかし改めて、どこのどいつがこんな山奥にデカイ石を運んで
こんなものを作ったのだろうと思う。
15世紀のものらしく、日本で言えば室町幕府とかの頃のはずで、
そう思えば、遙か昔、という事でもないのだろうが、
16世紀にインカを征服したスペイン人も気づかず
20世紀まで知られなかったという、そのひっそり感に圧倒される。

一頻り歩き回った頃に、目の前の石組みの上から「こんにちは!」
と女性の声が掛かる。
一瞬早く気づいた相方が笑っているので知り合いかと目を上げると、
確かに見覚えのある顔だったが、元シェイプUPガールズの中島史恵さん。
朝日放送の旅サラダという旅行番組の取材でペルーに来ているそうだった。
来た理由と尋ねられた僕らが新婚旅行でと言うと、
珍しい、っていう様なリアクションの後に、お祝いを言われた。
相方は記念写真を撮らなかった事を後々まで言っていた。

昼食はマチュピチュ入り口前のサンクチュアリロッジというところ。
バイキングだが雰囲気も味もいい感じで、
昨晩のフォルクローレレストランで相方にはすっかりケチのついたペルー料理も、
多少は面目躍如というところだろう。

食事を終えガイドさんと落ち合ってバスで駅へと戻る。
つづら折りの道を下る途中、懐かしい声が響いて窓の外を見る。
「グーッバーイ!」
出た、これぞマチュピチュ伝統のグッバイボーイ。
道端でバスに手を振り、甲高い声で「グーッバーイ!」と叫ぶ。
ただそれだけなのだが、つづら折りの車道を横切り、
斜面を真っ直ぐ下り降りて、一番下まで何度も同じように手を振り叫んで見せる、
そのすばしっこさが受けている。

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※マチュピチュから見たつづら折りの坂道。

18年前にも確かにいたのだが、
その後、学校に行かないとか危険とかの理由で制限されたと聞いていた。
ふと気づけばこの日は土曜日だったから、学校は休みだったのかも知れない。

麓まで降りるとバスに乗ってきて、車内で挨拶をしつつチップを受け取って回る。
僕もいくらか握らせた。

帰りの列車まで一時間ちょっとあったので、お土産物色タイムとなる。
駅近くの土産物屋が建ち並ぶところを歩く。
予想外に物売りが大人しくて、またどの店でも同じ様なものを売っていて、
何だか流通の仕組みとか揃って随分とこなれた感じになったものだなぁ、
と妙な事に感心した。
とは言え、値段がまちまちなのは相変わらずで、あちこちで値段を聞いて、
ここと定めた店で徹底的に値切ったり、オマケをせがんだりして面白かった。

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帰りの車中では、車掌さんとかが、
にわかモデルになった地元の毛織り物の即売ショーが面白かったが、
その他は、ガイドさんと席が分かれたのもあったし、草臥れていたので、
半分眠って帰ってきた。

駅には車が来ていて、ホテルまで送られてガイドの小笠原さんとも別れる。
一日、いろいろお世話になりました。

相方は草臥れている様子だったが、
夜の街の雰囲気も体験させたくて、アルマス広場。
彼女が絵はがきを出したいというので切手を探すが、あっさり見つかり、
その後、ガイドブックで目を付けていたプカラというレストランに行く。
ニンニクのスープ、ペルー風コロッケ、川海老のピリ辛スープ。
ペルーの代表的なカクテル、ピスコサワーも彼女に試させる。
味も雰囲気も良くて、この旅で最初の自分達で選んだ食事に満足。

帰りに広場の真ん中のベンチに腰掛け、
ぼんやりと灯りに浮き上がる教会などを見やって夜も制覇?の後
ホテルに戻るが、やっぱり最後は石畳の登り坂に息も絶え絶え、
オマケに人気のない道にあるホテルの入り口は木の扉が閉ざされていて、
一瞬、すわっ、と焦ったが、まぁ当然、ベルを鳴らしたら開けてくれて、
プチ冒険で締めた今日を終わる。

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今日はやっぱり来た甲斐があったというか、達成感のある一日だった。
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2007年11月17日

HM2)高地修行

16日、今日から旅行の始まりって感じ。

前夜3時に寝て5時に起床。
気が張っているからか、思いの外すんなり起きられた。
ペルーは春のはずだが、朝はまだ寒い。
しかし、こんなんで空港から40分掛けて来てもったいない気もする。

ホテルでの朝食。
ビュッフェスタイルで、思いの外ちゃんとしていて助かった。

6時半に昨日と同じフェルナンドが迎えに来てくれる。
この人は、180cm以上あるだろう長身でスペイン系の白人、
目つきが鋭く運転が荒いのだが、人柄はいい。
横浜に住んでいた事があったそうで、日本語も十分。
(ちなみにペルー人の平均的な背格好は、
 日本人と同じぐらいか日本人よりやや小柄な感じ)

再びホルヘ・チャペス空港。
フェルナンドがチェックインの手続きまでやってくれて楽。
18年前は列を作らずに我先にチェックインをしようとする客に揉まれて、
随分と怖い思いをしたが、今はすっかり整然としたものだ。

多少時間があったので出国ロビー手前の店の並ぶエリアで時間を潰す。
改めて見渡しても本当に綺麗な空港だ。
成田と同じぐらい?ロスなんて全く目じゃない。

ドラッグストアみたいなところで水と歯ブラシを買う。
歯ブラシはホテルのアメニティにあるだろうと思ったが、
こちらではそうではないらしいと分かったので。

1時間半ほどでクスコ。
クスコの空港はローカル感はあるが十分に綺麗。
前回来た時のことは全く覚えていないのだが。
しばらく待ったが迎えが来ないので、
電話をしようかと、テレカの売り場をインフォメーションに尋ねると、
代わりに現地の代理店に連絡を取ってくれた。
うーん、何か洗練されたサービスだ。
ありがとう、セニョリータ♪

行き違いでドライバーさんが来る。
ガイドさんは何だかで遅れているそうだったがほどなく到着。
ガイドは小笠原さんという日本人。
後で知ったがバックパッカーからガイドになっちゃったそうだ。

車で市街へ。
クスコのアルマス広場は覚えている・・・懐かしい!
ほど近くにあるこぢんまりした宿、ホテルミドリは、去年出来た日系のホテルで、
3つ星(エコノミークラス)なりにか、作りにアバウトなところがあるが、
清潔感があり、パティオ(中庭)など可愛らしく綺麗、
相方も気に入った様だった。

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パティオのテーブルでコカ茶を振る舞われた。
ペルーでは至ってポピュラーなこれは、
コカの葉っぱをカップに入れて湯を注ぎ、好みで砂糖を加えるもので、
ドクダミ茶とかアマチャヅル茶みたいな青臭い味がするのだが、
相方はこれもいたく気に入ったらしく、
ペルーにいる間中、あればまず先に飲んでいた。
ちなみにコカは言うまでもなくコカインの原料だが、
ペルーでは普通にこの葉っぱを売っている。
高地では特に気付け薬的に、それこそインカやさらにその昔から
嗜まれてきたものなのだろう。

この時午前10時過ぎ。
午後から近郊への観光だが、高山病対策で一眠りの時間。
朝食をしっかり取ったのもあって、
昼ご飯は相方持参のプレッツェルで済ませ、
ちょっと歩いてみようかとアルマス広場に出る。

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armas_cuzco.jpg

欧米人の観光客が目につき、長閑な感じだった。
道ばたのキヨスク(屋台)でミネラルウォーターを買う。

ホテルに戻る。
ほんの5分程度の距離なのだが、石畳の登り坂、
酸素が薄くて息が上がり、脚が動かず、高地であることを実感する。
ちなみにクスコは標高3400メートル。

しばらくして待ち合わせ時間になると、ペルー人の女性ガイドが来て、
またアルマス広場まで連れて行かれ、ほどなく中型の観光バスが来る。
ホテルを拾いながら来たのか、既に車内には欧米人中心の観光客。
僕たちが最後だったらしい。

荷物を置くとすぐに降りる様に言われて、
目の前のサント・ドミンゴ教会に案内される。
ここはインカの時代はコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿だったそうだ。
黄金で埋め尽くされていたここを、征服したスペイン人が、黄金を剥ぎ取り、
建物を壊して教会にしたという。
立派な石組みの土台だけはインカ時代からのものだそうだ。

中には絢爛たるキリスト教の装飾がなされていたが、
後にペルー人が作り足したものには、
キリスト像が高地に住む現地人と同じように鳩胸に造られていたり、
宗教画の中にヘビなどインカ時代のモチーフが描かれていたり、
そういうカルチャーミックスがユニークらしかった。
(一緒に回ったのは20人ぐらい?ガイドは英語だし聞こえづらかったが、
 何となくは理解できた)

相方は途中でトイレに行くなどマイペースぶりを炸裂させてはいたが、
頭痛とかで、気づけば顔色も青白く、
クスコに着いて数時間で早くも高山病の症状に悩まされていた。

バスに乗り10分ほどで、サクサイワマン。
だだっ広い中に石組みの要塞が残るここは、
南米三大祭りの一つというインティ・ライミが行われるところで、
18年前にはそのインティ・ライミを観に来た事があった。
その時は万単位の人がごった返していたが、
今日はパラパラと観光客がいるだけ、曇って寒くうらさびしい佇まい。
巨大な岩を切り出して精巧に組み合わせている様っていうのが「見せ物」で、
それはそれで凄いのだが、地味だし、
相方は蒼い顔をして這々の体で、僕も既に頭痛がし出していたりして、
何となく見て回って終わったってところだ。

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※サクサイワマンを眺めて何を思うかマリーンズ(笑)


次にバスでプカ・プカラ、そこから歩いてタンボ・マチャイ。
バスを降りてから、両側に現地人がセーターや民芸品など並べる間の
ゆるゆるとした登りの道を歩いたが、
他の人達、僕らより年配の人もいたのだが、クスコに数日いるのか、
どう考えても僕らより高地慣れしているみたいで、
僕ら夫婦はみんなの一番最後を遅れながら、何とかエッサラ着いていった。

タンボ・マチャイは当時の沐浴場らしく、
石組みの間からわき水が出ているが、水源がどこかは不明なのだそうで、
それは面白かった。

またバスに乗ってケンコー。
インカの祭礼場で、他の様な石組みとは違い、
石を削って作られているのがポイントだそうだが、
すでに「フケンコー」な僕らだけはバスから降りず、
夕暮れに沈んで行くそこを車窓から眺めながら他の観光客を待つ事にした。

一通り観光が終わってクスコに戻る時に、現地のガイドのオジサンが、
相方が高山病になっているのを知って車中のみんなに寄り道を提案する。

良く分からずに降りると、
アルパカとかビクーニャとかの毛製品を扱う大きな土産物屋。
店の人がガイドさんに言われて、
コカの葉っぱと茶色い液体が入ったペットボトルを持ってきた。
両掌に垂らして思いっきり吸い込む様に言われ、彼女がやってみると、
思いっきりスーっとして詰まっていた鼻が一気に通ったそうだ。
僕もやってみたが、強烈なミントが鼻から目に抜けるみたいな感じで、
なるほど現地人の常備薬みたいなものらしい。

彼女はすっかり気に入ったらしく、何度もやっていて、
翌日以降も、他の土産物屋で探していたが、
「自家製」以外にはないのだろう、見つからなかった。

他の観光客はその間、コカ茶を振る舞われて、セーターを物色したり、
窓の外から眼下に広がる暮れゆくクスコの街を眺めたりしていた。
上から見ると、どれも2〜3階建てぐらいの建物しかないクスコの街は、
通りの灯りが縦横に光の筋になって浮き出して建物を包む様で、
幻想的だった。

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はて、僕らのために止まったのか、
体よく土産物屋に送り込まれたのかワカランなどと思いつつ、
ちょうどいいものがあったので、
「吸い込み薬」が終わった彼女と互いの母向けに土産を買ったが、
気づけば他の客はバスに戻っていて、KYな感じの我が夫婦だった(笑)

中心部まで降りてきて、
それからホテルを回って順番に客を落として行く様だったが、
時間が掛かりそうだったので、乗ったあたりで降ろしてもらい、
数分をやっぱりフゥフゥいいながらホテルに辿り着いた。

パティオで一休みしていると聞き覚えのある声、
振り返るとそこには日本人の20歳前後の若い女の子。
同じバスツアーにいた子で、途中で気づいて折々話したりしていたのだった。
高山病なんて無関係、元気いっぱいの彼女は、
お母さんが高山病でダウンしてホテルに寝ているって言っていたが、
どこかも聞かず、別々に降りてしまったので、
同じホテルだと知って互いに笑った。

僕らは一度、部屋に戻ってしばし休憩の後、
予約していたフォルクローレレストランに行くべく、ロビーで迎えを待つ。
実際、現地についてしまえば、距離感も治安も含め、
直接行けばいいのが分かったが、
一応念のためと思って、日本で送迎を含めて頼んでいたのだった。
車でほんの5分のところで、現地人ドライバーだけ頼んでいたのに、
日本人ガイドまで来てくれた。

レストランは100人は入りそうな所。
7時半過ぎに着いた時には、既に白人団体客が半分ぐらいを埋めていた。
僕らは彼らからちょっと外れたところに案内された。

実はこの日は、プロポーズ1周年。
予約していたのにはそんな理由もあった。
クスケーニャというクスコ産のビールで乾杯して、
これまでとこの日を祝い合った。

バイキング形式で、肉にはアルパカのものまであった。

お互い高山病だったのもあって、お酒はそこそこに食事をしたが、
やんぬるかな、味は、体調を差し引いても褒められたものではなく、
そのうち、僕らを囲む様に団体客が入って、
テーブルの周りはバイキングに行き来する人の通路になり、
僕の「プロポーズ1周年大作戦」は、
微妙な感じになってしまった・・・(苦笑)

民族舞踊やフォルクローレの演奏も、
東京でも見られるのに気づいて企画倒れを嘆いたが、
それはそこそこにちゃんとしていて、良い点を探す事に長けた彼女が、
何とか喜びを見い出そうとしてくれていたのが救いではあったが。

pena_cuzco.jpg

まぁ実際、渋谷の古いワインバーでボジョレーヌーボーを横に
プロポーズをした1年後のこの晩に、
夫婦としてクスコで乾杯してるってだけでも意味はあるだろう、多分。

定番の「コンドルは飛んで行く」の演奏が終わって店を出た。

外に出ると大雨になっていて、送迎を頼んでいた事は結果オーライ、
終わりよければ全てよしかな?と、
思わぬ高地修行でこの先が思い遣られるペルーの初日は終わった。
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2007年11月16日

HM1)人生で一番長い一日。タイムマシーン?

※これは後日記したものです。


ペルーへと来た。

15日16:30のフライトで成田を発った。

品川から成田エクスプレスで成田空港第2ターミナル
昼過ぎに着いて、早々に荷物のチェックインを済ませる。
空港内のソバ屋で昼食。
久しぶりの成田空港は、平日のためかガラーンとしていたが、
随分と立派になっていて驚いた。

出国審査の時に、相方が係官に止められた。
機内持ち込みの荷物に液体があって、ということらしい。
知らなかったが今は、テロ対策で液体の持ち込みが厳しいらしく、
事前に旅行代理店からもビニールにひとまとめにして、
など繰り返し言われていたのだが、
彼女は、それでも成田エクスプレスの中でボクに言われて
ようやっとまとめなおし、この審査の時もビニールを外に出して、
と煩く言われていたのをスルーしてデイパックに入れっぱなしだったのを
突っ込まれたのだった。
南米の怖さを思い出して緊張している僕とは対極的にこの人は、
全くもっていつも通りのマイペース・・・苦笑

成田から9時間半掛けてロサンゼルス。
アメリカン航空の機内には座席毎にモニターがあって、
予想外に退屈せずに済んで助かった。

午後のリマ行きまで3時間以上あったのだが、この時まで既に自宅での朝食、
成田での昼食、そして機内で2回と4回も食事をしていたので、
トランジットの手続きを終えて、
出国ゲートでゆっくりしようということになる。

すると相方はやおらデイパックからポテトチップスを取り出す。
旅行グッズを漁りに行った100円ショップで買っていたもので、
煩いアメリカの入出国審査もなんのその、ちゃっかりと忍ばせていたのだった。

ロスの空港で100均のポテチをパリパリ・・・僕はすっかり拍子抜けだが、
そうだよな、そもそも新婚旅行なんだし、緊張している方が可笑しいかと、
肩の力を抜いてみる。

ロスからもアメリカン航空のはずなのだが、ランペルーとの共同就航、
機内は随分とレトロな感じで、映画など期待すべくもなく、
オマケに混んでいて並びの席は取れず、チケットカウンターで粘ったものの、
通路側で縦並びになってしまったので、どうにも退屈で、
前にいる相方の髪をグシャグシャやったりして嫌がられたりして、
途中から無理に寝入ってやり過ごした。

ロスからリマまでも9時間ぐらい、リマに着いた時には16日の1時前。
14時間の時差で、僕たちにとって2007年11月15日は38時間あったのだが、
乗り換えを入れて23時間の途方もなく長く思えた一日は無事に終わった。
ちなみにこの日は朝から6食。
リマへのフライトでも2食出てきた。
昔もそうだったが、ほとんど座ったままで食べてばかりいて、
胃腸はゴロゴロと愚痴とも悲鳴ともつかない音を上げ続け、
僕は自分がブロイラーにでもなった気分だった。

リマのホルヘ・チャペス空港に降り立つ。
18年前は、あまりの惨めな風情に愕然としたものだが、
超近代的に変身していて逆に愕然とした。
今回お世話になった南米専門の旅行代理店の人が、僕の記憶を知って、
「ペルーは当時とは全く違いますから、きっとびっくりされますよ」
と言っていた意味をさっそく実感するに相成った。

聞いていた通り、出口前に現地の旅行代理店のスタッフが待っていてくれた。
僕らは用意されたワゴン車に乗って市街へと向かう。
ミネラルウォーターが呑みたいからと「コンビにないの?」という相方に
ペルーに何を期待するかと愕然としつつ、
おずおずガイド役の日系女性に尋ねると、事も無げに立ち寄ってくれた。

当時、市街への道はあちこちに穴が開いていて、
車は爆走&スラロームでこれをやりすごし、どうしたかと尋ねる僕に、
「爆弾の穴だよ、撃ってくるかも知れないから顔を出すな」
と言ったドライバーに震え上がった事を思い出しつつ、
今、車窓に拡がる夜半過ぎのリマの街の近代的な穏やかさと、
日本と変わらないコンビニの清潔な様を前にして、
自分が完全に浦島太郎か、
解凍された冷凍人間みたいなものだと悟った。

やはり当時では考えられない綺麗なホテルに着くと、
ガイドさんがチェックインの手続きをしてくれ、
日本語のできるペルー人のドライバー、フェルナンドさんが、
明朝、6時半に迎えに来ると言い残して帰っていった。

既に2時前。
僕らは長旅に異臭を放つ(?)衣類を脱ぎ捨てシャワーを浴びて、
到着を祝うヒマもなく、早々に眠りに落ちた。
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2007年11月14日

古豪復活?失地回復?コンドルは飛んで行く

明日、ペルー、メキシコへと発つ。

ペルーへは18年ぶり2回目、南米へは17年ぶり3回目。
春は○年ぶり、春夏合わせて□年ぶり、とかって紹介される、
久々の甲子園に出てきた古豪みたいな気分?だ。

初めての海外は、まだ切っ先鋭く青さ痛いほどの頃、
無謀にも一人で飛んだペルーに始まる南米大陸徘徊だった。

翌年のブラジルも含めて2回、計2ヶ月の旅が終わり、帰途につく機中で、
モラトリアムを使い果たし、
次があるとも知れぬ大陸を窓越しに振り返りつつ、
「旅が終わるんじゃなくて、一旦中断するだけだ」
などと、真っ青なフレーズを繰り返し自分に言い聞かせていた事を思い出す。

途中、10年ほど前にも「再開」のチャンスはあったものの、
ドタキャンせざるを得なくなり、結局、17年ぶりに失地回復となる。

実際、今回は新婚旅行
送り迎えもあるし10日間だし、時代も変わったし、
大仰な決心が必要なワケではないが、
前日になると、何やら当時の気持ちを思い返される事しきり。

今では青さはすっかり茶色くくすんでしまったわけだが、
そんな心に映るものも楽しみだし、相方の反応もまた楽しみ。

はてさて、どうせ我が大騒ぎ夫婦のことだから、
どんな珍道中になる事やら。

ちなみに、決してボクが相方を説得したわけじゃなくて、
彼女が世界遺産好きが高じてそうなっただけだ。

ま、もちろん、ある程度合わせようとはしてくれたのだろうし、
いずれにせよ、今このタイミングで南米に「戻れる」とは、
想像すらできなかったことだから、
職場のみんなも含め、理解者に感謝しきりであるのは間違いなく。

しばし、ネットなどとは無縁の世界。

戻ったら、またここに書き留めようと思っている。

んでは!
ニックネーム パラマリボ at 22:47| Comment(3) | TrackBack(0) | caminand

2007年08月01日

西行ばびゅ〜ん!

今日は日帰りの大阪出張。

前職の本社は大阪だったのもあって、
東京勤務だったボクも、月に2回は大阪に行ったものだが、
今回の大阪は久しぶり。

朝、品川から新幹線に乗る。

「特急」が唸らせる冷房とかの音は、幼い頃の父の故郷、東北への帰省=夏休みを思わせるから、
パブロフ的にウキウキする…仕事なんだけど(苦笑)

大阪の人が、東京に来るのを「東上」、帰るのを「帰阪」と言っていたのを思い出した。
なら改めて、今日のボクは「西行」かと。

さて、今日は天気がいい。

陸側の窓の外を眺めていると、キラキラと陽光が跳ねる。

ちょっと焦点を引いて全体を見渡すと面白いのに気づく。

陽光が、遠近高低ある地上のそこかしこに跳ねては移りを繰り返して、
見ているボクを笑う様に感じる=鬼ごっこに捕まらない(俊敏系)ガキ大将みたいに。

ヤツはビニールハウスの屋根を駆け抜け、倉庫の看板を滑って、山間の鉄塔を蹴り、
気づくと眼下に並走するレールに寝そべる…。

久しぶりの新大阪は、あっと言う間だった。

車外の絡み付く熱さに初めて距離を覚えた。


仕事を終え、ひょんなことで再会した懐かしい面々が元気なのに励まされ、
予約していた帰り便に乗り遅れて、
今、三河安城、あっと言う間じゃない帰途についている(苦笑)
ニックネーム パラマリボ at 22:18| Comment(2) | TrackBack(0) | caminand

2007年01月16日

ローマ目指してNAVITIME

初めに断っておくが、これはローマと